中国弁理士 李 東玉
1.初めに
近年、人工知能、「インタネット+」、ビッグデータやブロックチェーンなどの技術が絶えず進歩しているに伴い、これらの新規分野、新しい業務形態で生まれてきた技術成果について法的保護を求めるニーズが増えつつある。このようなニーズに応えるために、2019年に行われた中国特許審査基準の改訂において、第2部分第9章に「アルゴリズムまたはビジネスルール・方法の構成を含む発明特許出願の審査に関する規定」という第6節が追加され、保護対象の適格性、新規性・進歩性及び明細書・クレームの作成に関する規定が明確となった。これに加えて、2023年に行われた同基準の改訂により、アルゴリズム関連発明の出願に関する審査基準が更に充実したため、これらの新規分野、新しい業務形態における発明に対する法的保護がより一層強化された。
保護対象の適格性に関する判断基準が明確となったため、明らかに保護対象外のアルゴリズム関連発明の出願が少なくなり、進歩性が審査された出願が多くなってきている。このような変化の下、アルゴリズム関連発明の進歩性の判断基準を十分に理解することは出願人及び特許弁理士にとって益々重要になっている。
2. 特許審査基準における規定
アルゴリズムの構成を含む発明の進歩性について、中国特許審査基準の第2部分第9章には以下のように規定されている。
技術的構成とアルゴリズムまたはビジネスルール・方法の構成とを含む発明特許出願について、進歩性の審査を行う際には、技術的構成とは機能上支え合い、相互作用関係にあるアルゴリズムまたはビジネスルール・方法の構成と、前記技術的構成とを統一体として考慮すべきである。「機能上支え合い、相互作用関係にある」とは、アルゴリズムまたはビジネスルール・方法の構成と技術的構成とは緊密に関連し、共同で特定の課題を解決するための技術的手段を構成し、かつその技術的効果を奏し得ることを言う。
「機能上支え合い、相互作用関係にある」に関する具体的な判断基準について、審査基準には以下のように規定されている。
請求項のアルゴリズムを具体的な技術分野に応用し、具体的な技術的課題を解決することができる場合、当該アルゴリズムの構成は技術的構成と機能上支え合い、相互作用関係にあると考えられ、当該アルゴリズムの構成は、採用された技術的手段の構成要素となり、進歩性を審査する際に当該アルゴリズムの構成による発明への技術的貢献を考慮しなければならない。
請求項中のアルゴリズムがコンピュータシステムの内部構造と特定の技術的関連を有するものであり、データ記憶量の低減、データ伝送量の低減またはハードウェアの処理スピードの向上等を含むコンピュータシステムの内部性能の改善やハードウェア演算効率・実行効果の向上を達成した場合、当該アルゴリズムの構成は技術的構成と機能上支え合い、相互作用関係にあると判断することができ、進歩性を審査する際に当該アルゴリズムの構成による発明への技術的貢献を考慮しなければならない。
発明出願の解決手段によりユーザ体験を向上させることができ、しかも当該ユーザ体験の向上は、技術的構成によるもの、または技術的構成と機能上支え合い、相互作用関係にあるアルゴリズムまたはビジネスルール・方法の構成と、当該技術的構成との両方によるものである場合、進歩性を審査する際に考慮しなければならない。
以下に、3つの事例を紹介しながらアルゴリズム関連発明に関する上記判断基準の実務上の運用について解説する。
3.事例の紹介
事例1(特許番号:201810734681.2)
事例1は2024年の十大特許審判例に選ばれたものであり、画像を処理する方法及び装置に関する発明である。
拒絶査定時の請求項1は以下のとおりである。
【請求項1】
対象オブジェクトの撮影画像を取得することと、
予め訓練された、前記対象オブジェクトに対応するキーポイント検出モデルに前記撮影画像を入力し、位置情報集合を取得することとを含む、画像の処理方法であって、
位置情報は、キーポイント情報集合におけるキーポイント情報で示されるキーポイントの前記撮影画像における対応する位置を示す位置座標を含み、キーポイントは予め定められた前記対象オブジェクト上のポイントであり、それぞれの対象オブジェクトはそれぞれのキーポイント検出モデルに対応し、
位置情報は、キーポイント情報集合におけるキーポイント情報で示されるキーポイントが前記撮影画像に表示される確率を示す可視性情報をさらに含む、画像処理方法。
拒絶査定において引例1及び引例2によって請求項1の進歩性は否定された。出願人は不服審判請求時に請求項の補正をしなかったが、不服審判の審理中に請求項1に「前記対象オブジェクトは、指定されたオブジェクト及び/又は予め設定された時間帯内に撮影装置により撮影されたオブジェクトを含み、前記対象オブジェクトは球場を含む」、「前記キーポイント検出モデルは前記対象オブジェクトの撮影画像と、撮影画像に対応する位置情報集合に基づいて訓練されたものである」という構成を追加した。
補正後の請求項1について、合議体は殆どの構成が引例1に開示されておらず、引例1及び2に対して進歩性を有すると判断し、審決において具体的に以下の考えを示した。
「相違点からすれば、請求項1が実質上解決する課題は、各撮影画像における同じ対象オブジェクトの対応関係をどのようにして決定するかということである。
上記相違点によれば、請求項1における対象オブジェクトは、指定された、または撮影された特定の球場オブジェクトであり、特定の球場オブジェクトごとに当該特定の球場オブジェクト自身の撮影画像及び位置情報集合を用いて訓練し、当該特定の球場オブジェクトに1対1対応するキーポイント検出モデルを得、当該特定の球場オブジェクトの複数フレーム画像(例えば、様々な角度や時刻の撮影画像)をそのキーポイント検出モデルに入力する際に、当該球場オブジェクトのキーポイントの各撮影画像におけるそれぞれの位置座標と可視性情報をモデルによって出力する。これにより、同一の球場オブジェクトのキーポイントの各撮影画像における幾何学変換関係を決定することができ、複数フレームの球場画像に基づく試合データの解析を実現することができる。
引例1はキーポイント位置決めモデルについて言及しているが、処理される対象オブジェクトは球場画像ではなく、顔画像にすぎない。引例1のすべての顔画像は通常、同一の顔キーポイント位置決めモデルに対応するものである。そのモデルは特定の対象オブジェクトに一対一に対応するものではなく、引例1に係る顔認識機能にもその需要がない。そのため、当業者は引例1から対象オブジェクト毎に一対一に対応するキーポイント位置決めモデルを設定することに想到できない。引例1における顔キーポイント位置決めモデルは、単一フレームの顔画像のキーポイントとその画像品質のみを対象とするものであり、同じ対象オブジェクトの複数のフレーム画像におけるキーポイントの対応関係には関わっていない。したがって、引例1には上記相違点について開示されておらず、各撮影画像における同じ対象オブジェクトの対応関係の把握という課題を上記相違点を用いて解決する示唆もない。
引例2の処理対象も上記相違点に規定された球場撮影画像に関するものではなく、上記相違点に係る対象オブジェクトと一対一に対応するキーポイント検出モデルの構築についての示唆はなく、各撮影画像における同じ球場オブジェクトのキーポイントの対応関係を決定するという課題も存在しない。したがって、引例2には上記相違点について開示されておらず、各撮影画像における同じ対象オブジェクトの対応関係の把握という課題を解決するために引例1と組み合わせて球場オブジェクトに適用する示唆もない。」
中国特許庁はこの事例の典型性について次のように述べた。
「本事例は、アルゴリズムやモデルと応用場面を組み合わせた発明の進歩性審査の見本として、応用場面のイノベーションによる技術進歩への促進を奨励する趣旨を反映している。同審決は、進歩性審査の「3ステップ法」の枠組みの下、応用場面の規定がアルゴリズムやモデルに実質的な調整や変化をもたらしたか否かを十分に考慮すべきことを指摘した。先行技術と比べて、出願に係るアルゴリズムやモデルの応用場面の相違により、アルゴリズムやモデルの構造や、アルゴリズムやモデルで処理される訓練データ、入力データ、出力データ、アルゴリズムやモデルの選択などについて実質的な相違が生まれ、当業者に自明ではなく、かつその技術的効果を達成できる発明について、その進歩性は認められるべきである。発明の技術的貢献が、アルゴリズムやモデルの改良により特定の応用場面における特定の課題を解決できることにある場合、イノベーターは明細書作成、拒絶理由の応答または請求項の補正を行う際にその内容を十分に反映させるべきである。」
事例1の発明の技術的貢献は、アルゴリズムの改良により特定の応用場面における特定の課題を解決できたことである。不服審判において、「前記対象オブジェクトは、指定されたオブジェクト及び/又は予め設定された時間帯内に撮影装置により撮影されたオブジェクトを含み、前記対象オブジェクトは球場を含む」、「前記キーポイント検出モデルは、前記対象オブジェクトの撮影画像と、撮影画像に対応する位置情報集合に基づいて訓練されたものである」という構成の追加により、アルゴリズムが適用される特定の応用場面及び特定の課題が明確となり、技術的構成とアルゴリズムの構成とが支え合うため、アルゴリズムの構成による発明への貢献が認められた。
事例2(特許番号:201780089483.9)
事例2はニューラルネットワークにより統一機械学習モデルを生成するシステム及び方法に関する。
拒絶査定時の請求項1は以下のとおりである。
データ処理装置においてニューラルネットワークにより統一機械学習計算モデルを生成するためのコンピュータにより実施される方法であって、
データ処理装置においてニューラルネットワークに対して複数のオブジェクト頂点の各々に対応する学習目標を決定することと、
データ処理装置において、前記複数のオブジェクト頂点の各々に関連付けられたデータを識別するように、第1の損失関数に基づき、対応する学習目標を用いてニューラルネットワークを訓練することと、
データ処理装置において、前記複数のオブジェクト頂点の各々に関連付けられたデータに含まれる項目を識別するように配置される統一機械学習モデルを、第1の損失関数に基づいて訓練されたニューラルネットワークを用いて生成することと、を含み、
各オブジェクト頂点は前記頂点に属するオブジェクトの別々のカテゴリを定義し、各学習目標は少なくとも1つの別のニューラルネットワークの2つ以上の埋め込み出力に基づくものであり、
前記ニューラルネットワークに対して対応する学習目標を決定することは、
データ処理装置において、第2の損失関数に基づき、各々が別々のオブジェクト頂点を識別するように複数の専用モデルを訓練することと、
データ処理装置において、前記複数の専用モデルの各々を用いて1つ以上の埋め込み出力を生成し、前記埋め込み出力に基づいて対応する学習目標を決定することと、を含み、
前記第1損失関数はL2損失関数であり、
前記統一機械学習モデルを生成することは、前記L2損失関数に関連する演算出力を最小化する特定の統一機械学習モデルを生成することを含む。
拒絶査定において引例1により請求項1の進歩性は否定された。出願人は不服審判を請求し、請求項1に「まず、画像データに含まれるオブジェクトを識別するための所望の閾値正確度レベルを実現するように第2損失関数に基づいて複数の専用モデルを訓練し、その後、訓練された専用モデルの各々の埋め込み出力を学習目標として統一機械学習モデルを訓練する」という構成を追加した。
本件が合議審査に入った後、合議体は上記補正後の請求項の進歩性を認め、不服審判通知書を発行せずに拒絶査定を取り消す審決を出した。
審決において、合議体は請求項1の殆どの構成が引例1に開示されていないことを認め、請求項1の進歩性について以下のように分析した:
「相違点からすれば、請求項1が実質上解決する課題は、どのように識別精度を低下させずにモデルの分類識別の範囲を拡大するかにある。
上記課題を解決するために、本願請求項1は、分類識別において、訓練により複数の専用モデルを得た後、それぞれの専用モデルの埋め込み出力を統一学習モデルの学習目標として取得し、それに基づく訓練により統一機械学習モデルを得る発明を規定している。一方、引例1は画像推薦又は視覚推薦において深層学習に基づき、順番付けされた類似の製品画像を専用モデルや統一機械学習モデルによりユーザに提供するものである。専用モデル及び統一機械学習モデルは入力画像の処理及び処理結果の出力ができるようにそれぞれ訓練されたものである。このように、引例1の専用モデルと統一機械学習モデルの訓練過程においてはモデルの出力を別のモデルの学習目標とする必要はない。即ち引例1は専用モデルの埋め込み出力を統一学習モデルの学習目標とする示唆はない。よって、当業者は相違点を得るために引例1の開示に基づいてそれを改良する動機がない。
また、上記相違点の全体が当業界の技術常識であることを示す証拠はない。
上記相違点によれば、請求項1に係る発明は識別精度を低下させずにモデルの分類識別範囲を拡大できるという有利な技術的効果を達成できる。」
事例2の発明の技術的貢献は、アルゴリズムの実行によりコンピュータシステムにおけるハードウェア資源のスケジューリングが最適化され、分類識別の実行効果が向上し、その結果、コンピュータシステムの内部性能の改善が実現できたことである。
具体的には、請求項1の発明は、画像データに含まれるオブジェクトを識別するための所望の閾値正確度レベルを実現するように第2の損失関数に基づいて複数の専用モデルを訓練し、訓練された専用モデルの各々の埋め込み出力を学習目標として統一機械学習モデルを訓練することにより、識別精度を低下させることなくモデルの分類識別範囲を拡大させることができる。したがって、上記した統一機械学習モデルの訓練に関わるアルゴリズムの構成は技術的構成と機能上支え合い、相互作用関係にあり、進歩性の判断において統一体として考慮されるべきである。合議体が認定したように、この構成の全体は引例1に開示されておらず、当業界の技術常識でもないため、進歩性が認められるべきである。
事例3(特許番号:201810476385.7)
事例3はブロックチェーンに基づくオフライン取引方法及び装置に関する。
拒絶査定時の請求項1は以下のとおりである。
ブロックチェーンに基づくオフライン取引方法であって、
指定識別子を取得し、ブロックチェーンにおいて前記指定識別子に対応するレコードが存在するか否かを判断することと、
存在する場合、前記指定識別子がアクティブ状態であるか否かを検証することと、
前記指定識別子がアクティブ状態である場合、今回の取引が前記ブロックチェーンにおける前記指定識別子に対応する取引制限を満たしているか否かを検証することと、
前記取引制限を満たしている場合、前記指定識別子に対応する決済アカウントに基づいてオフライン取引情報を生成してブロックチェーンに記録することと、を含み、
前記取引制限は決済アカウントが指定識別子による決済を許可するための制限であることを特徴とする方法。
拒絶査定において引例1及び引例3により請求項1の進歩性は否定された。出願人は不服審判を請求して請求項1に「前記オフライン取引は、無線ネットワークのサービスがない、または端末が電源切れた場合の電子決済を指す」、「ブロックチェーンにより決済アカウントの決済機能を前記指定識別子に授権する」、「アクティブ状態では指定識別子を用いたオフライン決済を許可する」という構成を追加した。
本件が合議審査の段階に入った後、合議体は上記補正後の請求項の進歩性を認め、不服審判通知書を発行せずに拒絶査定を取り消す審決を出した。
審決において、合議体は請求項1の構成の殆どが引例1に開示されていないことを認め、請求項1の進歩性について以下のように分析した:
「上記相違点からすれば、請求項1が実質上解決する課題は、無線ネットワークのサービスがない、または端末が電源切れた場合、どのように電子決済を継続させるかにある。
引例3にはアクティブ状態、取引制限の構成が開示されているが、無線ネットワークのサービスがない、または端末が電源切れた場合におけるオフライン取引に関するニーズはなく、決済アカウントに指定識別子を設定する必要もない。
上記相違点が当業界の慣用手段であることを示す証拠はない。
上記相違点によれば、ブロックチェーンを通じて決済アカウントの決済機能を前記指定識別子に授権することにより、無線ネットワークのサービスがない、または端末が電源切れたなどオフラインの場合に指定識別子を取得し、ブロックチェーンにおいて前記指定識別子に対応するレコードが存在するか否かを判断し、存在する場合、前記指定識別子がアクティブ状態であるか否かを検証し、アクティブ状態では指定識別子を用いたオフライン決済を許可する。前記指定識別子がアクティブ状態である場合、今回の取引が前記ブロックチェーンにおける前記指定識別子に対応する取引制限を満たしているか否かを検証する。前記取引制限は決済アカウントが指定識別子による決済を許可するための制限であり、取引制限が満たされていると判断した場合、前記指定識別子に対応する決済アカウントに基づいて取引情報を生成し、オフライン状態で電子決済を継続させる。これにより、ユーザー体験を向上させることができ、有益な技術的効果を達成できる。」
事例3の発明の技術的貢献は、技術的構成と機能上支え合い、相互作用関係にあるアルゴリズムの構成と、当該技術的構成との協働作用によってユーザー体験を向上させ得ることである。
3.まとめ
上記の事例から明らかなように、アルゴリズム関連発明の進歩性は審査基準の規定に基づいて審査されている。アルゴリズムの構成と技術的構成とが機能上支え合い、相互作用関係にあるか否かということが進歩性判断のポイントである。機能上支え合い、相互作用関係にある場合、アルゴリズムによる進歩性の貢献は考慮されなければならず、即ち、先行技術による開示・示唆の有無、公知であるか否かなどの考えからアルゴリズムの構成を審査する必要がある。
以上より、アルゴリズム関連発明に関する判断基準を十分に理解することは当業界の出願人及び弁理士にとって非常に重要である。
本稿は3件の不服審判の事例を踏まえてアルゴリズム関連発明の進歩性判断について検討してきたが、今後の運用についても考察していきたいと思う。