中国弁理士 張 広平
I. はじめに
AI技術の急速な発展に伴い、AI応用発明の出願件数は急増しており、その進歩性の判断も特許審査や司法実務における難題となっている。実務上、単なる既存モデルの適用とみなされて進歩性が否定される事例が多い。その結果、モデルトレーニングのイノベーションが無視され、特定の適用場面における課題を克服するためになされた創意工夫も過小評価されることになる。
本稿では、2025年の十大特許審判例に選ばれた無効審判請求第584244号審決に基づき、AI応用発明の進歩性判断における主要な問題点を考察するとともに、その明細書の作成及び実務対応の戦略を検討する。
II. 代表事例の解説
2.1 対象特許のクレーム
対象特許は発明の名称を「音声に基づく動画像生成方法、装置、デバイス及び記憶媒体」とする中国発明特許第202410022841.6号(以下、「対象特許」という)である。
対象特許の請求項1は以下の構成を有する。
構成(1-1):音声に基づく動画像生成方法。
構成(1-2):ユーザにより入力された参照画像及び参照音声を取得する。
構成(1-3):前記参照画像とトレーニング済み生成ネットワークモデルとに基づき、対象頭部動作特徴と対象表情係数特徴を決定する。前記トレーニング済み生成ネットワークモデルは、入力された前記参照画像に基づいて複数の予測画像を生成し、前記予測画像のそれぞれと前記参照画像との差異に基づいて対象頭部動作特徴と対象表情係数特徴を決定することに用いられる。
構成(1-4):前記対象頭部動作特徴と前記対象表情係数特徴に基づき、前記トレーニング済み生成ネットワークモデルを調整して対象生成ネットワークモデルを取得する。
構成(1-5):前記参照音声、前記参照画像及び前記対象生成ネットワークモデルに基づいて処理対象画像を処理して対象動画像を取得する。前記対象動画像は処理対象画像中の対象人物が前記参照音声に基づいて表情を変化させる動画像を特徴づけるものである。前記処理対象画像における画像オブジェクトと前記参照画像における画像オブジェクトは同じである。前記対象生成ネットワークモデルは、入力された前記参照音声と前記参照画像に基づいて対象駆動特徴を取得するとともに、入力された前記処理対象画像中の対象領域を、前記対象動画像を出力するように前記対象駆動特徴に基づいて駆動することに用いられる。
2.2 審決のポイント
(1)請求項1に係る発明の理解
請求項1に係る発明は、対象人物の単一画像及び音声データに基づき、ニューラルネットワークモデルを用いて対象人物の動画像を得るものであり、技術的手段として構成(1-1)~(1-5)を含む。
構成(1-3)は、ユーザが入力した参照画像を、トレーニング済み生成ネットワークモデルにより処理し、結果として対象頭部動作特徴と対象表情係数特徴を生成することを規定している。構成(1-4)は、構成(1-3)により生成された結果を用いて生成ネットワークモデルを調整することを規定している。このように、構成(1-3)~(1-4)はニューラルネットワークモデルを調整するプロセスであり、ニューラルネットワークモデルのトレーニングの段階に関するものである。
構成(1-5)はニューラルネットワークモデルにより参照音声、参照画像及び処理対象画像を処理し、結果として対象動画像を生成することを規定している。当該生成された結果は対象人物の動画像であるため、構成(1-5)はモデルの適用段階に関するものである。
(2)審決の要旨
AI応用発明は通常、モデル設計、モデルトレーニング及びモデル適用の3つの段階から構成される。AI応用発明のクレームを扱う際に、当業者の立場から、処理の目的、処理対象、処理結果及び結果の応用からクレームの技術的用語を正確に理解し、クレームに記載の技術的手段がどの段階のものかを確認したうえで、対象特許と先行技術の共通点及び相違点を正確に判断すべきである。
モデルトレーニングの段階はAI応用発明に固有の重要な要素である。引用発明と同じ適用場面でありながらモデルトレーニングの方法が異なるAI応用発明について、先行技術全体にモデルトレーニングの方法を改良する示唆がなく、かつクレーム発明のモデルトレーニングの方法によって、従来よりも高い精度の出力結果や低いトレーニングコストといった有利な効果が得られる場合、このクレーム発明は進歩性を有すると考えられる。
(3)審判の結果
本件特許を有効とする旨の審決が出された。
2.3 審決のポイントの解説
(1)段階の認識に基づく「3ステップ法」の運用
AI応用発明のクレームを理解する際に、処理の目的、処理対象、処理結果及び結果の応用という4つの観点から技術的手段の対象段階を確認する必要がある。これは、先行技術との不適切な比較を避けるための前提条件である。クレームに記載の技術的手段が「モデル設計、モデルトレーニング、モデル適用」のどの段階に該当するかの判断を間違えると、トレーニング段階の改良を適用段階のものとして認識してしまい、既存モデルの同じ場面への適用と誤認して進歩性の過小評価をしてしまう可能性がある。
技術的手段の段階認識は先行技術との相違点や解決しようとする課題を把握するための基本でもある。
技術的手段の対象段階を認識してから、先行技術の同じ段階との実質的な比較が可能となり、それによって相違点及び課題を正しく判断することができる。
要するに、技術的手段の段階を適切に認識することは、「後知恵」を回避してAI応用発明の進歩性を正しく評価するための論理的な出発点であるといえる。
(2)モデルトレーニングによる進歩性
モデルトレーニングの段階はAI応用発明に固有の重要な要素である。つまり、モデル適用段階の処理方法が先行技術と同様であっても、モデルトレーニングの方法に実質的な相違があり、かつその相違によって有利な効果が得られれば、その発明は進歩性を有するといえる。
対象特許は証拠1の一括トレーニングとは異なり、汎用の事前トレーニングと、単一画像による微調整という2段階のトレーニングプロセスを実施している。また、参照画像が推論条件だけでなく、微調整のデータソースとしても使用され、同一のデータは処理段階によって異なる機能を発揮している。さらに、参照画像と自己生成した予測画像との対比により対象頭部動作特徴量と対象表情係数特徴を決定し、それに基づきトレーニング済み生成ネットワークモデルを微調整し、調整後のモデルに基づいて動画像を生成する。
これらの構成は、その課題を解決するためのモデルトレーニング方法を特徴付けるものであり、先行技術と差別化できる特徴点となっている。
(3)進歩性判断における「全体的な示唆」の考慮
クレーム発明に至ることが容易であるかを判断する際に、単にモデルトレーニングの方法には様々な選択肢があるとか、モデルトレーニングの方法が技術常識であるとかという指摘だけでは、進歩性を否定するには足りず、先行技術全体にモデルトレーニングの方法を改良する示唆があることを証明しなければならない。
本件の無効審判請求人は先行文献の組み合わせで対象特許のすべての構成をカバーしようとして合計7件の証拠を提出したが、合議体は各証拠を検討した結果、いずれも「トレーニング済みモデルに対して単一参照画像に基づく微調整を行う」という肝心な処理に触れておらず、証拠4に逆の教示が含まれているとして、先行技術全体に示唆はないと判断した。
III. AI応用発明に関する実務上のアドバイス
3.1 AI応用発明の明細書作成について
(1)AI応用発明の改良点が十分に反映されるように、クレームにおいて、モデルトレーニングの構成とモデル適用の構成を書き分ける。
モデルトレーニング段階の改良点を、モデル適用による結果と区別して独立請求項に記載し、モデルトレーニングの方法やデータ処理フローについては、従属請求項に記載することが考えられる。
(2)モデルトレーニング段階の改良について、その技術的貢献を明細書に詳細に記載する。
例えば、本発明ならではのモデルトレーニングデータを選択・処理する方法、モデルトレーニングプロセスにおける肝心なパラメータや判断基準について、各実施形態において詳しく記述することが考えられる。また、必要に応じて汎用モデルトレーニング方法との効果上の違いを説明する内容を含める。
さらに、発明のモデルトレーニング方法による予想外の効果や、従来のモデルトレーニング方法が本願発明の適用場面に適用不可能であることなど、明細書において積極的に説明することも一策である。
要するに、将来的に反論や補正が必要になった場合、その根拠を明細書から探し出すことができるように作成すべきである。
3.2 AI応用発明の中間対応について
(1)モデルトレーニング段階の改良がモデル適用の慣用手段と誤認されたかを確認しながら、クレームに記載の技術的手段の対象段階を正しく把握し、先行技術との共通点・相違点を客観的に説明する。
(2)課題認定について、「モデル精度の向上」や「生成効果の最適化」といった審査官の要約にミスリードされないように、相違点に基づいて発明の解決する課題を客観的かつ正確に認識する原則を徹底する。
前述の無効審判例において、発明が実質上解決する課題は「どのようにしてモデルによって生成されたオブジェクトをより一層、処理対象画像中のオブジェクトに近似させるか」と認定されており、この課題はモデル適用時の改良を直接反映したものであり、進歩性の論証を裏付ける土台となった。
(3)AI応用発明の進歩性判断は単に技術的手段が公知であるか否かを見るのではなく、適用場面、トレーニングの方法、データの処理方法及び技術的効果などの要素から総合的に評価すべきである。単一の要素から判断する場合、誤った結論を招く可能性がある。
また、発明の技術的思想の全体性を否定するような拒絶理由を受けた場合、有利な結果が得られるように意見書の提出や電話インタビューの実施など様々な方法を通じて積極的に主張することがおすすめである。
IV. まとめ
第584244号審決はAI応用発明の進歩性を判断するための考え方を示している。発明の貢献に相応しい特許保護を図るために、モデルの各段階の特徴を正確に把握し、段階認識、課題の再認定及び全体的な示唆などからアプローチすることが重要である。